2012年10月28日 (日)
こんばんは。
突然なのですが10月25日、夜9時ごろ母親であるフェリーチェが亡くなりました。
退院したあと熱は下がっていたようですが体力が落ちてしまい、食べても吐いてしまっていたようで
24日意識不明で病院に運ばれ、お医者さんにはあと一週間もつかどうか。。と言われていたのに翌日夜7時ごろから容体が急変し息を引き取りました。
今日、母の誕生日に家族葬にて母を見送りました。
病院に運ばれておなかを開いた時にはもぉ肝臓が完全に癌でやられていたようでどうしようもなかったようです。
私自身オランダから意識不明だと父から聞きあわててチケットを取って帰ってきたのですが
私が飛行機に乗ったくらいの時間に母は亡くなってしまい最後は会えずじまいとなってしまいました。
しかし兄も「ICUの中で機械で生きさせられているあんなお母さんの辛そうな顔は見せたくなかった」と言っていて、それも母の私への思いやりだったのかもしれません。
いつも大丈夫!大丈夫!!と家族や周りの人に迷惑をかけないように我慢して、病院に行ったときには即入院というときも多々ありました。そんな辛抱強いのは私も受け継いでいて、鍼へ一緒に行ったときはよく先生に我慢強いねーと感心されていました。
それが裏目に出てしまうケースが多かったのですが(;_:)
フェリーチェという名前は、実は私がモナコのバレエ学校にいたころのクラスメートのイケメンイタリア人の名前でハッピーという意味だよと教えてから気に入って使っていました。
母の寝顔は美しく、やっと長年の痛みから解放されてとても穏やかでした。
ブログ仲間の皆様にはとてもお世話になり家族共々感謝しております
情報を交換し合ったり、時にはオフ会なども行っていて母もとても楽しんでいました。
娘が言うのもなんなのですが、母は勉強家でものしりで癌に関する本もたくさん読み、時にはネガティブな時もありましたが、みなさまの励ましのお言葉により必死に病気と闘っていました。
そんな母は私の誇りです。
今まで母と仲良くしていただいて本当にありがとうございました。
フェリーナ
突然なのですが10月25日、夜9時ごろ母親であるフェリーチェが亡くなりました。
退院したあと熱は下がっていたようですが体力が落ちてしまい、食べても吐いてしまっていたようで
24日意識不明で病院に運ばれ、お医者さんにはあと一週間もつかどうか。。と言われていたのに翌日夜7時ごろから容体が急変し息を引き取りました。
今日、母の誕生日に家族葬にて母を見送りました。
病院に運ばれておなかを開いた時にはもぉ肝臓が完全に癌でやられていたようでどうしようもなかったようです。
私自身オランダから意識不明だと父から聞きあわててチケットを取って帰ってきたのですが
私が飛行機に乗ったくらいの時間に母は亡くなってしまい最後は会えずじまいとなってしまいました。
しかし兄も「ICUの中で機械で生きさせられているあんなお母さんの辛そうな顔は見せたくなかった」と言っていて、それも母の私への思いやりだったのかもしれません。
いつも大丈夫!大丈夫!!と家族や周りの人に迷惑をかけないように我慢して、病院に行ったときには即入院というときも多々ありました。そんな辛抱強いのは私も受け継いでいて、鍼へ一緒に行ったときはよく先生に我慢強いねーと感心されていました。
それが裏目に出てしまうケースが多かったのですが(;_:)
フェリーチェという名前は、実は私がモナコのバレエ学校にいたころのクラスメートのイケメンイタリア人の名前でハッピーという意味だよと教えてから気に入って使っていました。
母の寝顔は美しく、やっと長年の痛みから解放されてとても穏やかでした。
ブログ仲間の皆様にはとてもお世話になり家族共々感謝しております
情報を交換し合ったり、時にはオフ会なども行っていて母もとても楽しんでいました。
娘が言うのもなんなのですが、母は勉強家でものしりで癌に関する本もたくさん読み、時にはネガティブな時もありましたが、みなさまの励ましのお言葉により必死に病気と闘っていました。
そんな母は私の誇りです。
今まで母と仲良くしていただいて本当にありがとうございました。
フェリーナ
スポンサーサイト