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プールでリフレッシュ
世間ではWii Fitが流行ってるみたいだけどどんな感じ?
運動量を自分でコントロールできるのよね?やってる人教えてね。

フェリーチェは泳ぐのが好き。
壁を蹴ってスーってまっすぐ伸びる時の体の表面を水が流れていく感じが大好き。

再建した理由の一つはプールに行きたかったから。手術した人用の水着もあるみたいだけどお手軽ではないし。

患者会で聞いたところによると、泳ぐとリンパマッサージ効果あるから浮腫まないらしい。
運動不足とストレスも解消できて一石三鳥やん。

といっても若い頃に体育会系でバンバン泳いでたわけではなく、子供の手が離れてから市民プールで習ったので、しかもマッチョでもないから、あんま早く進まないし、ゆっくり漂うように泳いでます。

25mプールを行きはクロールで、帰りは平泳ぎで20往復で1km位。本当は平が好きなんだけど、足の筋肉ばっかり使いすぎてだるいからだめなの。背泳はいつも鼻に水が入ってしまってNG。バタフライはレッスンに入って練習中だけど、溺れているのかとおぼしき姿。まだまだ道は遠いよ。

それと泳いだ後のジャグジープールでの水圧マッサージがとっても気持ちいい!
1人ひとり掴るブース5箇所があって足の裏、ふくらはぎ、お尻、腰、背中って順番に泡で押してくれる。2分位で合図の鳥の声が聞こえたら交代していく。

プールの後はシャワー。お風呂(半温泉)に誘ってくれる人もいるけど遠慮してます。
シャワーブースは完全個室で、下着つけて出てくれば気兼ねないよ。

あと空いてたらマッサージチェアーで全身の疲労回復コースを15分やって、帰りにスーパー寄って帰ります。
最近はプール行く前にダンスのエクササイズに入ることもあるんだけど、その話は今度書くね。

このコースを週に3~4日、1日2,3時間行ってます。
この季節泳ぎを極めたい人たちでプールはにぎわってるよ。

みんなはどんな風にストレス解消してる


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近場でお茶
近場のカフェに行きました
s-HIRO珈琲


専門店なのでコーヒーグッズがたくさんあるよ
いらっしゃいませ


ケーキのショーウィンドーを横目でスルー
s-ケーキ


奥にはテラスのお席もあります
s-テラス


テーブルの生け花
s-お花


ご注文はホットコーヒーとシェイク
s-マイルドブレンドとカフェシェイク


暑い日はアイスだね
s-カフェシェイク


写真ばっかでごめん。

じゃね。
ちょっと遠出
ネットで“フェリーチェ”っていう名前のイタメシ見つけたよ。
felice

お昼時で満員、断念。

別のお店へ。GO!
cannary row


ここはどうかな?
cannary row


お料理一品頼んで、あと飲み物、サラダ、スープ、ケーキのすべてがバイキング。
バイキング


きのことバジルの和風パスタ


s-ピザ


デザート

満腹だー!

この辺お茶処だし、ちょっと寄って行こ。お茶屋


のれん


おみやげ


曇天で湖はかすんでました。
<浜名湖


時速100kmのフロントガラス越しに写しました。
マンモバス


写真たくさんアップしてみたよ。

じゃ!

乳がんセミナー
7月22日 梅雨空の中、セミナーに行ってきました。
セミナー


大阪ビシネスパークのIMPホールでありました。
京橋
IMP


IMP2


オープニングで「乳がんにかかる人は美人でインテリジェンス」だって。うーんつかみはOK?

美人→エストロゲンがホルモンの分泌を促進して女性らしくしている。
インテリジェンス→思春期の豊かな食生活(高蛋白高脂肪)&運動量が少なめ。

この二つが、癌を増殖させやすい。過酷な運動選手には乳がんの人いない。

乳腺外来は別名「マダム外来」だって。社交的な人が多くて明るい。

マンモは大切。名医でも視触診では6割見落とすって。

桂あやめさんがゲストで盛り上げてました。ニコニコ

あやめ


IMPのお店
IMP3


何か写真がイマイチだけど、お許しください。

じゃね!


フェリーチェの乳がん日記6
検査結果

2007年6月12日病理の検査結果を聞きにいく。

手術前病期TMN分類 → T:3 N:1 M:0
腫瘍径 6cm
リンパ節転移の数 6個(13個中)
ホルモン受容体 エストロゲン+ プロゲステロン+
HER2 1+


手術後の治療

5月10日~9月10日  リザベン(形成)メディカル
7月3日~2009年7月 ゾラデックス注献血
7月7日~2012年7月 ノルバテックスメディカル

ということでただいまホルモン療法中。火照りがあるけれど、深刻な副作用はないの。

8月1日 傷口の圧迫テープがとれる。絆創膏
何か脇の下に溜まってる感があったので、山先生の診察を受けた。フェリーチェの胸を診て、「やればできるやん!」という感想。うちの形成にしては上出来って感じのコメントでした。

2008年5月20日 術後1年検診では異状なし。ホっ

ところでフェリーチェの祖母は今98歳。ある日の診察時、ヒゲ先生に、「フェリーチェは祖母ほどは生きませんわ」と言ったところ、「いやーわかりませんよ~」って言われました。社交辞令でもうれしいじゃないの!
まだまだたくさん観たり食べたり(飲んだり)したいなぁ。


長い間読んでくれてありがとね~m(__)m
フェリーチェの当面の目標は写真を上手くアップできるようになることです。

熱37.8℃(原因不明)があるので今日はここまで。

じゃね!

教科書

教科書2


フェリーチェの乳がん日記5
[心臓の弱い方画像クリック注意!]

手術

2007年4月27日12時ちょっと前、看護師と共にエレベーターで歩いて手術室に向かった。手術室はとても寒かった。ここの勤務は過酷だなぁ。
1時から4時半頃まで手術。気が付いたらベッドに寝たまま病室へ移動中。いろんな管がつけられて身動きできない。ベッド


取り出した乳がん
乳がん


4月28日 手術の翌日
朝リンゴジュースを飲んだ。 看護師さん達が皆ドレーンが小さいねって言う。

午後には繋がってる管は脇の下のドレーンだけに。
もうトイレにも行けるし、これは結構自由ちゃう?と思った矢先、チャメ先生来室。

「手術は、筋肉の上にパックいれました。筋肉に負担かかるからね。
残った皮膚と脂肪が均一だったからうまくいきましたよ。
フェリーチェさんの場合、形的に皮膚のすぐ下筋肉の上のほうが上手くいくと
思いました。傷口開いたら困るし腕を上げてはだめ。動かないようにしてね。
3週間は安静にして、そのあと飲み薬で形を整えます。」 

同じ頃手術した他の患者さん達は皆腕をあげるリハビリ始めてるのに、私はというと首から手を釣っている。後に三角巾が取れた時には脇の下に鉄が入ってるのかと思うくらい固まって動かなかったよ。

形成のM先生はまめにガーゼ替えにきてくれる。世間はゴールデンウイークなのに申し訳ない。

5月5日  半分抜糸。傷口は脇の下に7~8cmで縫い目は20数針。
       やっとドレーンが抜けた
5月7日  残りも全抜糸。
5月8日  シャワーOK
5月12日 退院

家に帰ってみると私の車がない!
あれ?どうして?
夫がゴルフに行ってたのでした。ゴルフクラブ

つづきます.....
フェリーチェの乳がん日記4
叔父の死そして決断

2007年2月8日に化学療法が終わり、次は手術の事を決めなければいけない。

この頃、行事が目白押しだった。2月1日にはとても慕っていた叔父が亡くなり、お通夜とお葬式。2月末には卒業式、4月2日入学式とどれもカツラで出席した。

大腸癌での叔父の死はとても悲しく、気持ちが沈んだ。叔父は手術の後免疫療法を選び、抗癌剤を拒否した。私でも耐えたのにどうして......涙

「せめてフェリーチェの手術の日まで生きていてほしかった」という叔母の言葉に「そうやん!どうして!」と亡骸に問いかけても返事はなく空しさが残るだけ。

私にいつもやさしくアドバイスをしてくれた叔父。どうしてあんなに素晴しい人が逝ってしまって、私なんかが生きてるんだろう。この日記を書いてる今でも思い出し涙が出てくる。でもたとえ進行乳がんで10年生存率が60%でも私はこれからも生きていかなければならない。えーん

生きていくならQOLを高めるような方向で考えていこう。あれこれ思い悩んで同時再建することにした。

山先生に尋ねると、当時この病院では一年に3人位再建する人がいるそうな。(今は月に2人位)
***年にたった3人***

山先生:「きれいさを望むならナ○モ先生とこ紹介できるよ」

ってか!!そんなに悪い仕上がり??

叔母に相談したら、「豊胸が専門の美容形成外科医なんて医者にあって医者にあらず!そんな所でやってもらったら癌細胞が広がって命縮めるよ。やめときなさい!」 と、猛反対。プールにも行きたいし、この病院でインプラントで同時再建してもらおう、と決断して、形成外科を2月21日受診。

そしたら担当の先生はおめめがくりっくりの茶川一郎似。(チャメ先生と命名)←知ってるかなぁ?
後で聞いたらその先生は皮弁が専門とか。先に言ってよー!
ヒゲ先生とチャメ先生が途中でタッチ交代してくれるので私と3人の日取りが合う4月27日に手術と決まった。

チャメ先生:「今はシリコンパックが一般的でよくなってるよ。
      種類がお椀型とアナトミカル型があるけど、フェリーチェさんの
      場合サイズは一番小さいのでいけますね。」

フェリ:「はい..........」(失礼な!まあ事実だけど)

シリコンパックを個人輸入する会社を紹介してもらってお金を払いこんだが、小さいのでちょっと安かった。
アメリカMentar社からの輸入なので間に合うかなぁ?と心配したが、手術日前日チャメ先生とM先生が病室まで持ってきてくれた。

チャメ先生;「滅菌されてるので今ここで開けて見せることはできないけれど、
      この箱の中身がフェリーチェさんの今ある乳腺の後に入ります。」

フェリ;「10年くらいはもつって読んだんですけど、入れ替えが必要ですか?」

M先生;「何もなければ一生もちますよ」

やったー。大事にしよう。ショックで破れて中身が出るようなことがなければ大丈夫みたい。交通事故やなんかでかなりの強打しなければOK。

シリコンちゃん、明日からフェリーチェの仲間よ!ヨロシクね


まだまだ続くよ....
フェリーチェの乳がん日記3
検査そして化学療法

7月18日 マンモトームを受けた。
マンモグラフィーの機械に30-40分ずっと挟まれた姿勢のまま耐えた。ヒクヒク

X線を撮って、点在している石灰化した場所の位置を決めて、そこをめざして直径1cm位の針をさして、中の組織を拾ってきて生研で癌かどうか見極める検査。

針を刺すところには麻酔してくれたけど、挟まれている胸は痛くてだんだん感覚がなくなるくらい。これは拷問だな。K女医とマンモ検査技師とアシスタントの3人係りで、「大丈夫ですか~?がまんしてね~。動いちゃだめよ~」って動きませんとも。こんなのもう一回始めっからやり直しなんてまっぴら!

やっと終わってベッドで休んでいる時に、K女医が、「ほら、うまくいきましたよ」ってシャーレに入れたいくつかの塊を見せてくれた。少し過呼吸になってしまった。

他にも肺X線や血液、骨の検査を受けて次週の予約して帰宅。

7月26日 検査結果は白。右側はただの石灰化だけで、癌ではなかった。ホっ
骨や他の臓器にも転移はなかった。

7月26日 化学療法から先にすることを伝えて、28日1回目のFEC。
薬剤量は一般的なファルモルビシン140mg&5-FU700mg。
赤い点滴が入ったとたん酷い頭痛とむかつき。それからの1週間は家を一歩も出ずに一日中のた打ち回る日々。

白血球5500→1週間後4500→2週間後900
ファルモルビシン90mgに変更。あんまりしんどくて途中で止めてしまう人がいるから量を減らしても最後まで続けた方がいいそうな。5-FUも止めてECで3クール。10月26日からはweeklyタキソール12回。最終回は2007年2月8日。

髪が抜け睫毛も眉毛もなくなり爪が変色し、頭痛、痺れ、むくみ。
タキソールになってからは頭痛はましにはなったが、すごいダメージ。
その甲斐あって癌は6.5→2.8cmに!

そして2007年4月に手術のはこびとなった。

まだまだつづく......
フェリーチェの乳がん日記2
告知

2006年夏、ヨーロッパ旅行を満喫して無事帰国したフェリーチェは、その後の人生計画を狂わす一大事が待っていようとは知る由もなく、7月18日軽い足取りで病院へ結果を聞きに行ったのであった。

ヒゲ先生:「フェリーチェさん、残念ですがこれは乳がんです。」
フェリ:「ガン」ガーン01 (癌だけに

そして電子カルテの画面にマウスでなにやら大きな○を書いているヒゲ先生。
診察室で、最初は平静を装って普通に話を聞いていたのだが、次第になぜか自分の意思に反して、涙や鼻水が出るわ出るわ涙

その後しばらくはヒゲ先生の顔を見ただけで目がウルウル涙があふれることに。

ヒゲ先生:「癌は8年くらい前からあったと思われるけれど、それがフェリーチェさんの場合
      はたくさんの種がいっぺんに育ったっていうか、ちょうどお花畑に蒔いた種
      が一斉に花咲いたように、ブワーッと大きくなって、直径6.5cmに
      なってます。リンパ転移もあります。」
フェリ:「えーっ!8年も前からしかも転移も!」

私は手首にガングリオンを持っている。それは12歳の時から身体にいるみたいで、時に
ひょっこり出てきて、神経を圧迫、痛くする。結婚してまもなく現れた時には、同僚に「子宮外妊娠?」って「んなわけないっしょ(笑)!」てな具合。

でもガングリオンはめったに現れないし、引っ込んだら悪さしないので放っといてもかまわないけど、今回はそういうわけにはいかないらしい。

ヒゲ先生:「フェリーチェさんの場合は大きいので、先に化学療法をしてから手術する
      事をお薦めします。次までに考えといてください。それと反対側も疑
      わしいので、明日マンモトームと骨シンチ検査を受けてください。」

フェリ:「.........はい。」がっくり

足取り重く病院を後にするフェリーチェであった

またつづく.....


フェリーチェの乳がん日記1
[長文注意!]

はじまり...

2006年春、胸に何だか違和感を感じて「そうだ、市民検診を受けてみよう」と思い
市役所へ電話→予約日は1ヶ月先。

その間身体は熱っぽくってよく眠る日々。昼寝しても夜になったらまた眠い。
今思えばその時身体の中で育っていたのか

6月1日初マンモ。15日に届いた結果は、
カテゴリー4(悪性の疑い) 要精検もうこの時点で涙

勘弁してよー
私が何をしたっていうの

19日朝起きたらナンだか急に左胸に硬い物が育ってる感じ。
20日病院へ走る

ヒゲ先生は市民検診のマンモ見て、「まあ大丈夫でしょう」  ってか?
しかし触診した後、「マンモグラフィー撮ってきて」

えっ ま・またぁーっ
縦と横両方見たいんだって。ま,確かに持参したのは縦方向のだけだけど

そして隣の部屋へ移動してエコー。何も言わずにただ画面を凝視の山先生。
そして針生研。注射2

山先生:ちょっとちくっとしますよ
フェリ:はい。(痛ーーーっ!ちょっとちゃうやん!)
山先生:念のためもっかいしとこか
フェリ:.......(えーーーもおええってーー)

    (注)もっかい=もう一回

そして結果を聞く次の予約日は...

「あのー 旅行が決まってるので7月18日でお願いします。」
この時すぐに告げられなかったおかげでただの乳腺炎だと思いこんだ私は
楽しい旅路についたのでした。

ヨットハーバー


つづく...


乳がん検診受けてね
大阪府民の皆様!朗報です


J.POSH
   乳がん検診スマイルアップキャンペーン2008大阪



開催中です。

J.POSH(日本乳がんピンクリボン運動)は「日本から乳がんで悲しむ人をなくしたい」と、啓発活動に取り組んでいます。

J.POSH理事長田中完児先生は、関西医大枚方病院乳腺科医師。
ピンクリボン運動は乳ガンについての知識、検診の普及、患者やその家族へのサポートを目的として米国で始まりました。

田中先生御自身もご家族を乳がんで亡くされており、その時の経験により患者やその家族の心のケアの大切さを痛感されJ.POSHを立ち上げました。2008年6月にはリボン・ロゼ田中完児乳腺クリニックを開院されました。

今回のキャンペーンは、大阪府在住でマンモグラフィー検診を受けた20歳以上の女性に検診費用の補助を行うものです。

期間は2008年6月1日~11月30日で、応募者先着1000人に500~3000円がクオカードで支払われます。

詳しくはJ.POSHのHP→http://www.j-posh.comでね。

この機会にマンモグラフィー検診是非受けてね。

                                        J.POSH
はじめまして!
フェリーチェです。ブログ始めました。
乳癌フレンズの皆様、お待たせしました。

初心者ブロガーに優しいコメント待ってます。
当方ほめられて育つタイプです。

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